横浜聡子監督最新作『俳優 亀岡拓次』感想

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横浜聡子監督は、いつだって必ず愛すべき人物像を描く。

最新作『俳優 亀岡拓次』の主人公 亀岡拓次も、好きにならないわけがない。

 

任されるのは目立たない脇役ばかりだが、演技の実力は折り紙つきで引っ張りだこの名優。

素晴らしい仕事をしていて、同業者から尊敬の念を獲得しているのだが、全然偉ぶる様子もない。華やかな業界で活躍しているにも関わらず、なんでもない一般人のような振舞いだ。

 

前作の長編作品『ウルトラミラクルラブストーリー』の主人公 陽人も愛すべき人物だった。

横浜映画の主人公に対しては「こんな人には絶対なりたくないな〜」とか「いや、なってはいけない。なったらヤバイ」と思ってしまうのだが、心のどこかで「こんな人になりたい」と憧れてしまう。

憧れと幻滅が同居する。何か毒のようなものがある。

 

主人公を演じた安田顕が文句のつけようがなく素晴らしかった。覇気のない死んだような目が、亀岡拓次の決して奢らず、かつ何ものにも恐れを知らない人物像を上手く表現していた。

そのほか、新井浩文染谷将太など今をときめく俳優や、三田佳子や山﨑努などの超大御所まで豪華キャストが並ぶ。

こういった俳優を集めることができる、横浜監督の映画監督としての貫禄のようなものを感じた。

 

1度見ただけでは、正直この映画の内容は消化しきれない。

観終わってしばらくしてからこの映画を思い返すとまた観たくなってくる。スルメタイプの映画だ。

とりあえず1度見て言えることは、日常の場面と演じている場面が混ざり合って、現実と非現実の境目が曖昧になってくるような感覚があったということだ。

 

横浜監督は亀岡拓次を変幻自在に役をこなす「カメレオンのような人」と言っていた。

きっと亀岡拓次は「演じている時」と「演じていない時」の境目がないのではないか。現実と非現実の境目をふらふらと生きているようだ。

「演じている時」は役に入り込むので、俳優なら誰でも境目に入ることができる。

一方「演じていない時」にはどうすればいいか。「カメレオン」がなんの色もつけないように自我を捨てることで、日常を単なる日常にしないことができるのだろうと思った。

 

日常において極力何者にもならないよう振る舞うことが、24時間365日、「演じていない時」でさえ亀岡拓次を「俳優」たらしめるような気がする。