図書館で学生たちが勉強している光景を見て思うこと

どこの図書館に行っても、学生がたくさんいるものだ。一生懸命勉強していて感心する。

一方で、学生の勉強でテーブルが占められることによって、図書館の本来の機能である「読書」が隅に追いやられているのではないかと思っている。

もちろん、学生が勉強することにケチを付けるなんてとんでもない。学生が気持よく勉強できる場を奪ってはいけない。

だがせっかく図書館にいて目と鼻の先にズラリと本が並んでいるのに、たくさんいる学生たちが一様に教科書だけ開いてノートにカリカリと書いてる光景を見ると、なんだか寂しく思ってしまうのだ(ちなみにかなりじじくさい言いぶりですけど、僕はまだ20代です)。

教科書でお受験のための知識だけを学ぶにとどまっているのはもったいないことだ。

せっかく図書館にいるのだから、学生たちにはぜひ本を手にとって読んで欲しいと思う。ただブラブラと背表紙を見るだけでもいい。それだけでも知識はつくのだから。

kurodaken.hatenablog.com

 

学校や教科書だけで世界のすべてを網羅することはできない。世界はもっと広大で、何よりもっとおもしろい。

 

教科書はつまらないけど、本はおもしろい

勉強はもちろん大事だが、教科書というのは得てしてつまらなくできているものだ。例えば歴史の教科書はつまらない。でも、歴史そのものはおもしろいのだ。

歴史の教科書がつまらないのは、章節の立て方がぶつ切りすぎるからだと僕は思っている。

教科書は、できるだけ短い文章に内容をまとめようとする。そこに大事なキーワードを盛り込んで、手っ取り早く暗記してもらうことを重点においている。そのせいでまさにお勉強ぽくなって、逆につまらなくなってしまうのだ。

歴史の教科書を読んでも楽しめないから頭に入ってこない。教科書を読むことは、どうしても本を読むという行為から一線を画してしまう。

一方で、例えば日本史全集などは本を読んでいるということが実感できる。文章を追うのが楽しいので、頭にも入ってくる。

わざわざノートにカリカリと書かなくても、読むだけで覚えることができる。

歴史のお勉強なんてしなくても、日本史全集を一通り何度か読むだけで一生の財産となる歴史の知識が定着して身につくはずだ。

 

十和田市民図書館の大きなサンルーム

先週末、十和田市民図書館に行ってきた。

十和田市民図書館は建築家・安藤忠雄の設計により平成27年に新しくなったばかりだ。おしゃれでモダンな外観ながら誰をも招き入れるような佇まいからか、老若男女で賑わっていた。

中でも特に、中学生・高校生の学生たちが多く目立った。ここまで学生で賑わっている図書館も珍しいと思った。安藤忠雄のカッコいい建築が若者を呼び寄せているのかもしれない。

十和田市民図書館は大きなサンルームが特徴的だ。官公庁通りの桜並木からは図書館の中が覗かれる。中から見ると開放感が溢れるスペースとなっている。

このサンルームの設計思想の文章を引用する。

「冬でもあたたかい、光り溢れる場所」を設け、これが「生き生きとしたコミュニケーション」が集うための受け皿となる「庭」と位置づけた。 (中略)

例えばよく晴れた日に、緑陰の講演のベンチで本を読むときのような、高揚感を人々に与える広場空間となるよう設計を進めた。

 

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これを読んだ後いっそう僕は寂しさを覚えた。学生が大きなサンルームに面した横一列のテーブルをほぼ陣取って、カリカリと教科書とノートとにらめっこしている光景を見て。

まあこうして変に感傷的な文を書いたところで、だからなんだっていう話なのだけど。