市役所まるごとアウガへぶち込めばいいじゃん? という最も簡単で効果的な方法が1ミリも考慮されないワケ

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昨日(2/16)から青森県内を賑わせているのが、アウガ全面公共化のニュースだ。

www.sankei.com

www.nikkeibp.co.jp

 

アウガをめぐっては、2001年のオープンから現在まで青森県内はもとより、まちづくりの事例として全国的にも注目され続けてきた(もちろん失敗事例として)。

それがまた今回のニュースで大きく展開が動いた。

アウガの一部始終について、その複雑な権利関係などを含め、僕はすべてを理解しているわけではないが、仕事の関係で2年ほど青森市民だったことがある自分としても思うところを書いてみた。

 

 

アウガ全館公共化について簡潔にまとめる

まずはおさらいとして、今回のアウガ全館公共化の報道について簡潔にまとめる。

  1. アウガの商業施設としての機能を完全に終了させる。
  2. 市がアウガの土地と地下から4階までの商業施設部分のフロアを取得する。
  3. 全館公共化して市役所庁舎機能の一部を設置する。
  4. 土地建物の取得費用については、市が三セクに貸していた債権の約24億円と相殺し、なおかつ土地建物の価値がそれを下回った場合でも差額分は債権放棄する可能性がある。

庁舎機能については、どこの部や課が置かれるか未定のようだが、庁舎以外の公共機能については今のところ以下の設置を予定しているという。

 

①現在計画中の施設

・ 青森ビジネス拠点 など

②老朽化し、近い将来建て替えが必要な施設

青森市働く女性の家

青森市民美術展示館 など

③その他、アウガ再生プロジェクトチーム提案など想定される機能

・健康、教育関連機能

・子ども・子育て支援機能 など

 

果たしてこれで本当に、アウガ公共化でも引き続き狙いとされる「駅前の賑わいの創出」などできるのだろうか。多くの人が首をかしげざるをえないだろう。

当然、これらを設置するにあたっても新たに改修工事費用などがかかる。総事業費の額はまだ報道されていないようだが、いずれにせよ莫大な税金が投入されることになんら変わりない。

 

アウガと切り離せない2つの問題についても簡潔にまとめる

前置きが長くなるが、アウガ問題と切り離しては語れない、2つの問題についても整理しておく。

JR青森駅周辺整備事業問題

アウガの問題に平行して、JR青森駅周辺整備事業と、市役所新庁舎の現在地での建て替えについても議論されている。 

JR青森駅周辺整備事業については15日にJR側と協議した結果、当初計画の事業費123億円から26億円削減して、総事業費97億円まで見直すことができたとのこと。

なぜ今回のアウガ全館公共化のニュースにあわせてこのような見直しに至ることができたのか。大人の事情があるにしても、はじめからそういう試算で出して欲しい。

そもそもの話、日本の人口は次の50年で4500万人減ると言われている状況において、青森という田舎に巨額の税金を投入してオーバースペックな駅の施設を作るのはいかがなものかという話だ。アウガと同じような負の遺産になるのは目に見えている。

青森県の県庁所在地、そのまちの玄関口である青森駅周辺が、負の遺産で埋め尽くされるなど目も当てられない。 

青森市役所 新庁舎建て替え問題

新庁舎建て替えについても、JR青森駅周辺整備事業とほぼ同等、全体事業費を97億円としている。

この97億円という莫大な額を帳消しにできる簡単なアイデアが、前々から言われ続けている。

市役所機能のすべてをアウガに設置してしまうことだ。市役所を現在地からまるごと、アウガに移転するのだ。それで万事解決する。

青森市財政にとって、もっとも簡単で効果的なその手法が、なぜか行政の計画において1ミリも考慮に入れられない。なぜなのだろうか。

勉強不足というか渦中にいないのでわからないだけなのかもしれないが、この選択肢が行政側から完全に無視されている状況が、本当に不思議でならない。

 

なぜ財政にとって最適な政治的決断がなされないのか

そのような簡単な解決策を蹴って、なぜ今回のような中途半端な決断に至ってしまったのだろうか。今回にかぎらずお役所仕事は、なぜ往々にしてあくまですり合わせの折衷案に過ぎないような決断に至ってしまうのだろうか。

 

さてさて自分で書いておきながらよく分からないのだが、「折衷」とは誰と誰の折衷なのだろうか。

 

 まず一方には市民がいるだろう。いかに予算を抑えてもらったうえで、質の高い公共サービスを享受できるかという視点をもつ人から成る集団だ(「市民」という言葉はその視点の主体として憑依させている、見えない集団に過ぎないような気もするが)。

 もう一方に行政側がいる。市民へ公共サービスという「価値」与えるのが行政の仕事だ。だが行政にも予算があるので、やり繰りしながら妥当な仕事をしていかなければならない。だがもちろん、市場原理と同じく経営努力が必要不可欠であり、生ぬるい仕事ぶりをしようものなら糾弾される。

市民と行政。

アウガをめぐる議論は、その両者を対立軸として繰り広げられている。

 

だが実際の関係図はもっと複雑に絡み合っているはずだ。 権利所有者や三セク役員、設置予定の公共機能の職員、もしかしたら建設業者、内装業者などのお役所仕事を請け負う企業など。

行政や市長としては、単に市民と向き合っているだけではない。むしろそうした周囲を取り巻く関係組織・団体への配慮の比重のほうが高い。そして自らの保身。

 

だから、どれだけ有識者などが正当な意見や論理を述べようが、行政や市長は誤った決断を繰り返してしまうのだろう。

そもそもそうした意見をしっかりと聞いているのか。聞いても理解できないのか。単に無視しているのか。

 自己保身や目先の利益しか考えていないのか。 他人を思いやる人の心が無いのか。社会を発展させようという気概を持ち合わせていないのか。

現在の日本における様々な政治問題に共通して言えることは、異なる意見をぶつけようが、代案を示そうが、権力者がまったく耳をかさないことだ。

 

とりあえずアウガ問題だけに焦点を戻すが、きっと行政なども自分たちの決断が間違っていることに気づいているのではないのだろうか。あれだけ各方面から論理的に批判され、代案を示され、それが全市にとっての最適な選択だと分かってはいるのではないのだろうか。

分かってはいても、自分たちの保身をはかることに必死で、決断に至る勇気を持ち合わせていないのではないか。

 

ロビー活動みたいな政治の裏事情などについて、一小市民に過ぎない僕だがぜんぶを理解したい。

きっとそれは予想通りで、しかしあらためて目の前に提示されると失望するような不甲斐ない裏事情が浮かび上がってくるのだろうが。

 

アウガ問題は全員が主体となって取り組むべき

東奥日報などの新聞記事を読むと、市議会議員から高校生まで、様々な立場からの意見が載っているが、どの意見も他人事のように語られているようだ。

なにも市長をはじめとする行政だけが悪いわけではないはずだ。

訳知り顔で市長を叩くだけの議員たち。

表立って批判されないが、一番みっともない三セク役員たち。

ごねてばかりでなにもしない地下の「新鮮市場」の地権者たち。

そして市民。納税と公共サービスを利用するというだけに限っていうと「善良な」市民といえる。人任せで何もしないのが大半の市民だ。僕も含め…。

 

無理に全員が取り組むべきとは言わないが、一市民でもなにかできることはあるはずだ。

例えば文句を言うのも立派な行動だと僕は思う。

アウガのあれダメだ。これがダメだ。やる気あんのか? サボってんじゃねえぞ? 気合入れろよコラ。でもいい。

僕みたいな拙い筆と考えの浅い文章ではなく、もっと的確な批判や代案をブログにアップするのでもいい。

アウガ問題にかぎらず、社会問題を解決するための政治参加とは、このようなことをいうのではないだろうか。